金融、経済、株、為替… 全地球を覆い、眠ることなく 価格や比率を示し続ける無数の「ボード」 それは現在と未来、夢と現実、希望と絶望、 勝者と敗者の列を明確に切り分ける高くて長い境界である
ボードの瞬き
旅の記録:九州 博多〜大分 18
2008年 06月 08日 (日) 20:53 | 編集
博多から大分にかけての駆け足の旅を終え
最後は新幹線 N700系のぞみ
おそらく世界で最も洗練された列車だろう。
フローリングのディーゼル機関車と比べると
温かみが無いようにも感じるが
社内は広々として清潔感があり
研ぎ澄まされた車体のフォルムには強い存在感がありかつ美しい

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中途半端なホテルよりはるかに快適
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今回の旅は
型に収まらない奔放な自然の中に型を見出し
型をはみ出していくことに人間精神の自由を見出す
ような旅だった。
発見の多い良い時間を過せたと思う。

「アジアの中の九州」を肌で感じる事もできたし
それが日本を変えて行くであろう事も感じられた。

アジアという非日常が九州の日常に溶け込み
混沌を生みそして次の型へと変貌していく
人間の想像力が型を破って変えていってしまうのだ。

「ゆふいん号」は愛すべきローカル・クラシックである。
しかしその目的地である町は
「ゆふいん号」の知らない間に
「ゆふいん号」自身が運んできた人々の
泥臭い集合的想像力によって
次々と勝手に変わっていく。
しかしまたそれは一転して「のぞみ」という超モダンとも繋がり
そのモダンは世界中の高速鉄道網というグローバル・モダンへと広がっていくのである。
旅の記録:九州 博多〜大分 17
2008年 06月 08日 (日) 19:49 | 編集
天下の「湯布院」をわずか2時間で駆け抜け
次なる目的地の「九重“夢”大吊橋」へ

途中で見た大分の植林は見事だった
山全体が巨大な庭のように良く整えられている印象だ
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さて日本一の吊橋である「九重“夢”大吊橋」
遠目に見ていると緑豊かな自然に囲まれ、大きな滝が水音を轟かせる
なかなかの風景なのだが
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近付くとやっぱりデカイ
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そして怖い〜
歩き出すとたった390mがやたら長〜い
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謳い文句は「天空の散歩道」で
確かに大変見事な風景ではあるが
渡っている間は修験道の修行の気分
旅の記録:九州 博多〜大分 16(ゆふいん案内 その12)
2008年 06月 08日 (日) 19:08 | 編集
ジャパン・クラシック→ナチュラル&アンティーク→トトロ→ダジャレ
と型を崩してきた<湯布院の想像力>は
実は観光地としての次の型も既に手に入れている。

それが
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「中国・香港観光親善大使」にも任命されたハローキティ!

キティは日本の観光地という観光地に存在する
というか、「ご当地キティ」が存在する事が日本の観光地の証、
デファクトスタンダードである
(「ご当地キティ」の数は現在1500種類を越えている。
その進出を拒めるのは治外法権のあるディズニーランドのようなところくらいか…)

天皇家やお雇い外国人の保養地か
霊験あらたかな宗教施設であることを厳密な核とした観光地から
ストラップやボールペンに付けられた小さな小さなキティによって
ゆるやかにその存在を証明される観光地へ
「湯布院」も日本の数多の観光地もいつの間にか変貌しているようだ

これは観光のトップダウンからボトムアップへの変化ということか
あるいは観光消費の多様化もしくは平準化ということなのだろうか…

偉大なる非日常とありきたりの日常との区別がつかなくなり
ついにはダジャレ化してしまった「湯布院」は
キティのささやかな降臨によって再び日常の少しだけ上の非日常へと顔を出す


それにしても
永遠に変わらない唯一のミッキーと
無限に変わり続ける八百万のキティ
というのは日米の文化の対比としてもおもしろい
旅の記録:九州 博多〜大分 15(ゆふいん案内 その11)
2008年 06月 08日 (日) 16:53 | 編集
その想像力が「言葉の枠」を侵食していくと
そこにダジャレが生まれる

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ここは鯉が泳ぐ水路のある施設
不気味なほど鯉が多い…
しかしさらに不気味さを感じさせるのは
「鯉占い/恋占い」というダジャレ
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何か呪われそうな雰囲気…

そして入口の売店で売っているのは
恋の色ソフトクリーム!
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確かに<野いちごは恋の色>というメルヘンはわかる
しかしそれが「鯉」と結び付いてしまうと
やはり少々不気味
鯉のソフトクリーム!なんて!!

ソフトクリームとおみくじが「鯉/恋」というダジャレで繋がっている
そのダジャレだけでこの施設を一体感は保たれているのか!?

ちなみに鯉の餌のゴミ箱も印象的
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何もそんなに大きくハングル書かなくても…と思う
旅の記録:九州 博多〜大分 14(ゆふいん案内 その10)
2008年 06月 08日 (日) 16:11 | 編集
そんな戸惑いというか混乱というかまどろみというかの中に登場したのが
弦の切れたボロボロで「アンティーク」なギターを携えた
ボロボロでナチュラル・ハイな路上ミュージシャン
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彼は私に「変わった人ですねぇ」と言った
(…………どっちが???)
そして彼は私のために歌を歌ってくれた。
即興で途切れ途切れの歌だった
さらに彼は私にビジネス上のアドバイスまでしてくれた!

堅牢なジャパンクラシックが
トトロな想像力で広がりながら崩れていく姿は
彼の姿に重なり合うものがあった。

彼がトトロだというわけではない。
でも彼は崩れていた。
トトロどころかドロドロに崩れていた。
彼と話をしながら私は
人間の精神や想像力は力強く自由であるとともに
とらえどころの無い不気味なものである
と感じた。
だからこそ
人は堅牢な型を必要とし
周囲にもそれを求めるのだと悟った。

しかし熱を帯びドロドロでトトロな人間精神は
堅牢な型を腐食させ
そこからはみ出していくものなのだ。

「湯布院」はそこに参加する様々な人たちの
想像力によって型をはみ出し
型からはずれる<事件>を起こし続けている…
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